山下清を求めて 谷原へ
ingressの知人から、山下清が谷原で過ごしていたと聞き興味を持つ
自分が住んでいる三原台の東に隣接した町である
三原台から谷原へ
キャベツ畑を抜けて
山下清には一時期傾倒していた時期があった
ちぎり絵ももちろんそうだが彼の「放浪日記」にである
本棚の奥から引っ張り出してみる
晩年、山下清は谷原二丁目の自宅にて創作活動にあたったらしい
材木屋の店先
特に、山下清の記念碑や何かがあるわけではない
ただここで山下清は作品を作っていたのかとまちの空気を吸ってみた
かつて彼のちぎり絵が展示された百貨店での山下清展には80万にの人が訪れ
それは今も美術界において塗り替えられない動員であるという
それは彼が知的障がい者である、ということも含まれているのかも知れない
人は異型のなかになにを見たいのか。
ぱらぱらと放浪記をめくっているとこんなページが目にとまった
「旅行するのはくせだからなおらない」
山下清はそれを旅行と言っているが、それは多分逃走だろう
長い逃走をしていたのだろう
放浪記を読んでいると山下清が度々現実から逃げていく、文字通り走って逃げ行く姿が目撃される
それはある種の「へたれ」であろう
だが、逃げることのできる人間はせめて何かと戦っている人間だともいえる
はじめから戦っていない人間は逃げることもない
彼の生きている時代にingressがあったら山下清はどうしただろうか
相当な距離を彼は徒歩で歩く
CFを作っただろうか
CFの意味がわかっだろうか
あるいは戦いから逃げただろうか
まだ見ぬユニークポータルを目指しただろうか
谷原に山下清の痕跡はなかったがふとそんなことを考えた。